新着情報information
- 2020年04月08日
- お世話になった方から意見をいただきました。
事務所を開設し、沢山の方と知り合うことができ、色々と教えていただきました。
特に私に対して、事務や文章の大切さを教えてくれた方から、コミュニティ財団に対しての提案をいただきました。
少しでも多くの方に読んでもらいたいので、ここに公開させていただきます。
『●筑後川コミュニティ財団への提案
筑後川コミュニティ財団が2019年8月設立した。久留米大学文学部教授だった宮原信孝さんが代表発起人となった準備活動を経て、220人の発起人と389万円の設立寄付金を得て設立に漕ぎ着けた。
コミュニティ財団とは、特定の企業や個人、行政機関などが設立したものでない「市民立」の組織であり、また地域の文化、暮らしに根差す組織。寄付者の意思を大切にしながら、地域に必要な取り組みを行う人や組織に資金やスキルを提供する。「人の役に立ちたい」「活動の力になりたい」・・・そんなコミュニティのサポートが原動力だ。
そこで提案である。当財団が筑後川を地域とするに当たって「災害後方支援」を
1つの柱にできないかということである。
筑後川は熊本、大分、福岡、佐賀の4県にまたがる九州一の大河。日本三大暴れ川として名を馳せ(利根川=坂東太郎、筑後川=筑紫次郎、吉野川=四国三郎)、筑後川の歴史は治水の歴史である。筑後川流域は、気候風土、文化、なりわい、経済社会交流など繰り広げられてきた関わりが強い。
さて、南海トラフ巨大地震。今後30年間で最大M9クラスの超巨大地震が発生する確率は70~80%と言われる。大分沿岸の被害を想定すると、久留米はその後方支援として稀なる立地条件を備えていると思う。食糧、水、医療はもとより自衛隊(西部方面混成団本部の久留米、ヘリコプター隊の佐賀県目達原)、国土交通省九州地方整備局(久留米市高野町、九州の後方支援基地)が存在するのである。
東日本大震災から9年。未曽有の津波被害を受けた三陸沿岸の被災地救援に大きな役割を果たしたのは、後方支援を自ら買って出た岩手県遠野市の存在だった。日頃から訓練に取り組んできた自衛隊、警察、消防、医療チーム、ライフライン関連企業、ボランティアがいち早く拠点を置いて被災地で活動した。震災から10日足らずで31の組織・団体3500人が集結。「遠野モデル」と評された。この遠野市に久留米市の立地条件があまりにも似かよっている。
遠野市は三陸沿岸から約50㎞内陸の北上山地に位置する人口2万6千人の旧城下町。柳田国男の「遠野物語」の舞台となった町である。この被災地救援の後方支援拠点を推進したのは本田敏秋市長だ。本田市長は1995年の阪神淡路大震災に県の防災課長として惨状に遭遇した。犠牲者1万8千人を超えた明治三陸地震(1896年)、2671人の昭和三陸地震(1933年)はいずれも遠野市が救援の後方支援拠点となったことと重なり、強い信念になった。三陸沖地震の発生確率が30年以内に99%と予想されていた。市長に当選し、2005年、新しい遠野市のまちづくりの柱の一つに津波災害の後方支援拠点整備を盛り込んだ。
もとより、当初からスムーズに推進されていったわけではない。自然災害で市長は、市民の生命・財産を守るのが第一。「国や県に要請されたのですか」、戸惑う職員も多かったという。
九州をリードする農業都市、「五庄屋物語」に代表される筑後川の治水・利水の歴史、医のまち久留米・・・久留米は私たちにとってかけがえのない故郷である。この故郷が、その立地条件を生かして自然災害に対する後方支援を買って出る。検討の余地はないだろうか。
少子高齢化の時代、人様の面倒まで見る余裕はない、のが大方の思いであろう。では、自らが身の安全を守るために手をつなぐことから始めれば、土台づくりはいろいろな案件の改善につながるのではないか。「お年寄りや弱者への声掛け運動」「ふるさとや農業を見直す活動」などを取り上げ、進めていけば、そのことが「他の支援」に繋がらないことにはなるまい。「先ず隗より始めよ」である。
多くの日本人に、未来を悲観させた東日本大震災が、価値観の転換のきっかけになっていいと思う。自然への畏敬の念をもって自然と共存しながら、「自分に見合った役割り」を見出し、「そこそこ豊かであればいい」という新しい価値観が芽生えてもいいのではないか。
そしてさらには、人類は今、新型コロナウイルスという世界的な危機に晒されている。恐らく私たちの世紀で最大の危機だ。半面、色々なことの本質が露呈されている今こそ、みんながニュートラルに問い直すときであり、グローバルに結束するということが求められているチャンスでもあると思う。「先ず隗より始めよ」である。
(2020年4月 キャリアコンサルタント 栗林 武敏)』
特に私に対して、事務や文章の大切さを教えてくれた方から、コミュニティ財団に対しての提案をいただきました。
少しでも多くの方に読んでもらいたいので、ここに公開させていただきます。
『●筑後川コミュニティ財団への提案
筑後川コミュニティ財団が2019年8月設立した。久留米大学文学部教授だった宮原信孝さんが代表発起人となった準備活動を経て、220人の発起人と389万円の設立寄付金を得て設立に漕ぎ着けた。
コミュニティ財団とは、特定の企業や個人、行政機関などが設立したものでない「市民立」の組織であり、また地域の文化、暮らしに根差す組織。寄付者の意思を大切にしながら、地域に必要な取り組みを行う人や組織に資金やスキルを提供する。「人の役に立ちたい」「活動の力になりたい」・・・そんなコミュニティのサポートが原動力だ。
そこで提案である。当財団が筑後川を地域とするに当たって「災害後方支援」を
1つの柱にできないかということである。
筑後川は熊本、大分、福岡、佐賀の4県にまたがる九州一の大河。日本三大暴れ川として名を馳せ(利根川=坂東太郎、筑後川=筑紫次郎、吉野川=四国三郎)、筑後川の歴史は治水の歴史である。筑後川流域は、気候風土、文化、なりわい、経済社会交流など繰り広げられてきた関わりが強い。
さて、南海トラフ巨大地震。今後30年間で最大M9クラスの超巨大地震が発生する確率は70~80%と言われる。大分沿岸の被害を想定すると、久留米はその後方支援として稀なる立地条件を備えていると思う。食糧、水、医療はもとより自衛隊(西部方面混成団本部の久留米、ヘリコプター隊の佐賀県目達原)、国土交通省九州地方整備局(久留米市高野町、九州の後方支援基地)が存在するのである。
東日本大震災から9年。未曽有の津波被害を受けた三陸沿岸の被災地救援に大きな役割を果たしたのは、後方支援を自ら買って出た岩手県遠野市の存在だった。日頃から訓練に取り組んできた自衛隊、警察、消防、医療チーム、ライフライン関連企業、ボランティアがいち早く拠点を置いて被災地で活動した。震災から10日足らずで31の組織・団体3500人が集結。「遠野モデル」と評された。この遠野市に久留米市の立地条件があまりにも似かよっている。
遠野市は三陸沿岸から約50㎞内陸の北上山地に位置する人口2万6千人の旧城下町。柳田国男の「遠野物語」の舞台となった町である。この被災地救援の後方支援拠点を推進したのは本田敏秋市長だ。本田市長は1995年の阪神淡路大震災に県の防災課長として惨状に遭遇した。犠牲者1万8千人を超えた明治三陸地震(1896年)、2671人の昭和三陸地震(1933年)はいずれも遠野市が救援の後方支援拠点となったことと重なり、強い信念になった。三陸沖地震の発生確率が30年以内に99%と予想されていた。市長に当選し、2005年、新しい遠野市のまちづくりの柱の一つに津波災害の後方支援拠点整備を盛り込んだ。
もとより、当初からスムーズに推進されていったわけではない。自然災害で市長は、市民の生命・財産を守るのが第一。「国や県に要請されたのですか」、戸惑う職員も多かったという。
九州をリードする農業都市、「五庄屋物語」に代表される筑後川の治水・利水の歴史、医のまち久留米・・・久留米は私たちにとってかけがえのない故郷である。この故郷が、その立地条件を生かして自然災害に対する後方支援を買って出る。検討の余地はないだろうか。
少子高齢化の時代、人様の面倒まで見る余裕はない、のが大方の思いであろう。では、自らが身の安全を守るために手をつなぐことから始めれば、土台づくりはいろいろな案件の改善につながるのではないか。「お年寄りや弱者への声掛け運動」「ふるさとや農業を見直す活動」などを取り上げ、進めていけば、そのことが「他の支援」に繋がらないことにはなるまい。「先ず隗より始めよ」である。
多くの日本人に、未来を悲観させた東日本大震災が、価値観の転換のきっかけになっていいと思う。自然への畏敬の念をもって自然と共存しながら、「自分に見合った役割り」を見出し、「そこそこ豊かであればいい」という新しい価値観が芽生えてもいいのではないか。
そしてさらには、人類は今、新型コロナウイルスという世界的な危機に晒されている。恐らく私たちの世紀で最大の危機だ。半面、色々なことの本質が露呈されている今こそ、みんながニュートラルに問い直すときであり、グローバルに結束するということが求められているチャンスでもあると思う。「先ず隗より始めよ」である。
(2020年4月 キャリアコンサルタント 栗林 武敏)』